その6 <出勤前>
その朝、クラウドは洗面所の鏡の前で珍しく上機嫌だった。
と同時に少し憂鬱でもあった。
「クラウドー、お仕事遅れちゃうよー?」
店の厨房からティファの声が掛かるとその憂鬱にまた拍車が掛かる。
「ああ、今行く」
クラウドは鏡の前でうん、とひとつ頷くと歩き出した。
「行ってくる」
「…行ってらっしゃい」
厨房を横切って店内へ出ると朝食事に使った卓席をダスターで拭き清める彼女の少し訝しげな視線が背中に突き刺さるのを
出来るだけ気にしないように出口の取っ手を掴んだ。
「クラウド」
びく、とクラウドのその手が止まる。
ゆっくりと振り返るとすぐ側にティファの顔があった。う、と少し後退さる。
負けるな、俺
その笑顔はいつも通り、出勤拒否を起こしたくなるような可愛らしいものだ。
しかし、その紅茶色の瞳には全てを見透かす光を伴っている。
「ね、」
小首を傾げて見詰める彼女に敢え無く観念したクラウドは小さく息をつくと
忘れる所だった、とそのしっとりとした赤い唇に啄ばむようなキスを贈った。
忘れてなどはいなかった。が。
「もう…」
案の定、触れるだけの「行ってきます」にまるで不満だとでも言いたげに唇を尖らせたティファは微かに頬を紅潮させて少し俯き
あの犯罪的な上目遣いで見上げてきた。
…くそ、可愛いな
気付かれているのだ。わざと「それ」を避けていることを。
だがもうどうでも良くなった。(もうか、クラウド)
自分の首に腕を絡ませた彼女の細い腰を引き寄せるとふわりと微笑むティファに取りつかれたように
その花びらのような唇を深く奪う。
「…やっぱり」
少しして離れた唇の隙間から呟くティファについつい俯いて目線を下げた。
「ダメよクラウド」
「俺は…」
下手な反論は彼女の口から言って欲しくない言葉を引き摺り出すことになる。
「クラウドの綺麗な顔にヒゲなんて絶対イヤ」
舞い戻った鏡の前で渋々と剃刀を持つクラウドを見詰めていたティファが少しもじもじしながらあのね、と呟いた。
「ちゃんと剃ったら…その、もう一度…してね?」
…くそっ、可愛すぎる
久方ぶりにちょっぴりと伸びた「男の象徴」は彼女の一言であっけなく洗面所の排水溝の彼方へと流れていったという。
剃ってれば濃くなるよ、クラウド(でもイヤ)
その7<帰宅後>
クラウドはいっとき動けなかった。
住居である二階へと階段を上がった廊下のとばくちで足を止めたまま直立不動である。
耳に入り込んでくる微かなシャワーの水音に、つい先程階下の店の扉を開けた際出迎えの笑顔が無かった事の合点はいっている。
普段ならそのまま階段を上りきり、部屋で支度を解いて本日の仕事の後片付けなどをしながら彼女が風呂から上がるのを待ったりするのだ。
しかし、それを視界に納めてしまった彼はその行動予定をまるでちゃぶ台を返すようにひっくり返した。
廊下の中程、ちょうど真ん中あたりにぽつりと落ちている小さな白い存在。
とある日の楽しい出来事が一瞬で脳裏に蘇えった。(楽しかったらしい)
何故か硬く握り締めていた拳を気付いたように解くとクラウドは腕を組んで血色を失った指先で自分の顎を抓んだ。
穴が開くほど凝視していた「それ」から目線を逸らすとあらぬ方向を睨む。
綺麗に整った端正な顔立ちはまるで人形のように無表情であった。
しかしその思考はここでお伝えするに憚られるほど不健全なものである。(善い子のみんなはもう寝よう)
ふと霞がかったその魔晄の瞳に光が戻った。
「…アホか俺は」
思春期の溜まった高校生でもあるまい。
望めばいつでも……ではないか。(ぉ)
クラウドは腕を解いてゆっくりと「それ」に向かって足を運んだ。
つい、と腕を伸ばし取り上げようとして一瞬怯む。
視線の先で微かに震える指先に嫌な汗が滲んだ。
彼女の「それ」に過剰反応してしまうのは遠い記憶の悪事が原因だろう。
「…俺は別に」
誰とは無しに呟く。
手にとって脱衣所に用意されているであろう彼女の着替えの中に放り込むだけだ
男のロマンとか楽しい思い出よ再びとか違うんだ俺の仕事は荷物の配達だ(動揺)
勢いづけてその布キレを引っ掴んだクラウドは突然響いた風呂場の扉の開く音にびくっと身動ぎ、それを取り落とした。
「あれ〜?…なあティファ、俺のパンツ知らない?」
床に広がった見慣れた形状のそれをぼんやりと見つめるクラウドは脱衣所から聞こえるデンゼルの声に
生温い滴が頬を伝っていくのを感じていた。
さあ、お仕事ですストライフさーん(笑)
その8 <勤務中>
「…そんな仏頂面するなよ、と」
だらしなく襟元を着崩した赤毛の男は手に持った武器でとんとんと自分の肩を叩きながら
斜に構えたあからさまに嫌そうな顔をしている金髪碧眼の、男にしては綺麗過ぎるそれを見遣った。
その顔で商売勤まるのか、とイヤミがましく吊上がる口元を細身の青年は冷めた目で一瞥するとでっかい「ふん」を見舞う。
別に顔が荷物を運ぶ訳じゃない
「でもなぁ、クラウド。客商売は笑顔だろ?エ・ガ・オ」
勝手に人の心を読みつつにんまりと「お手本」を示すレノを堂々と無視したクラウドは手にした伝票を切り取ると卓上に叩き付けた。
「荷物は預かる。…伝票だ」
ふと酒の箱が乱雑に積まれたセブンスヘブン宛の荷物に目線を降ろしたクラウドはそれが未だ封をされていない事に気付く。
ゆっくりと顔を上げ、笑顔のまま口角を引き攣らせるレノの後ろでなにやら落ち着きのないハゲ頭を見つめると、
そのこめかみにぴきと血管を浮き上がらせた。
ルードの後ろ手にちらちらと見え隠れするモノ。
小奇麗に包装された小さな細長い箱はどう見ても女性用の装飾品であろう。
ぴくりとその流麗な眉を片方だけ吊り上げたクラウドはいたいけな女子高生よろしくもじもじとするハゲをこれでもかと睨みつけた。
隙あらば荷物の中に放り込もうとでもいうのだろうか。無意識に右手が背なの大剣の柄を掴んだ。
いい度胸だ一歩でも近づいてみろ明日からルードは二人だ
「…少しはティファを見習ったらどうだ?」
おかしな緊迫感溢れる空間に間延びしたレノの言葉はやけにそこへ響いた。
しかしこの時特に敏感になっていた彼女の名前を口にした不幸な彼は次の瞬間首元に突きつけられた
馬鹿でかいフル装備の剣に映る己の顔を見下ろすことになる。
呼ぶな、減る
「…悪かったぞ、と」
鬼神の如き眼光に晒されながら両手を挙げたレノの口端がまたもや上がるのを見とめたクラウドは我に返った。
やられた、と思ったがもう遅い。
ギリギリで寸止めにしてあった刃先がその首筋の皮膚を裂く感触も気にせず(気にしろ)後ろを振り返り、同時に目を逸らしたルードの
体の前で組まれた両手と口が開いたままの配達物を順番に見遣ってから盛大な舌打ちをするしかなかった。
外に停めたフェンリルの荷台へ投げやりに荷物を載せたクラウドは腰に手を当てると自分の靴先を見ながら大きな溜め息を吐いた。
箱の隅に鎮座する忌々しげな存在をちらりと目の端に映す。
その辺の草むらにぽい、という選択は元来の生真面目な性格が邪魔をした。
もう一度深々と息を吐いたクラウドは諦め風情で開いたままである箱の封を閉じようと乱雑に積まれた酒の箱を一つ引っ張り出す。
と。
勢いで一緒に持ち上がった「それ」が箱のヘリへと押し上げられた。
「………」
上手に重心を保って頼り無げにふらふらと揺れる危険物をいっとき見つめたクラウドは
うん、とひとつ頷くと腕を伸ばしておもむろに愛車のエンジンをふかす。
身体の芯に伝わる大きな振動がもやもやとした胸の内をスッキリと晴らした。
「配達事故、か」
ころりと何かが地面に転がる音を聞いたが思い切り無視した。
「不可抗力だ。…な?フェンリル」
フェンリルは答えなかった。
ストライフ=デリバリーサービス
信頼と真心を今日もあなたに。(一部私情込)
クラウドに頼もうとするルードがわからない(レノの動脈は)
その9 <出張中>
「ゴンガガ?ゴンガガ行くの?!」
拠点としているハイウインド家の軒先で黙々と出発準備を整えるクラウドに朝っぱらから脳髄を引き攣らせるような
金切り声を浴びせ掛けたのはユフィである。
出張6日目ともなると『ティファ欠乏症』に伴なうノルアドレナリンの過剰分泌が小煩い忍者娘を冷ややかに見下ろす眼光に思い切り
拍車を掛けたが、この娘にそんなものは鼻糞ほども通用しない。
「ゴンガガつったらさ、アレだ、アレだよ…そうか待てよ」
喰い付くように迫ってきたかと思えば急に腕を組んで何やら空を睨みぶつぶつと呟き始めたユフィを躊躇わずに無視したクラウドは
荷を積んだシートをがこん、と閉めると無言でフェンリルに乗り込んだ。
「わ、ちょっと待てって!…相変わらずティファ以外には無愛想キングかこのやろう。ねね、イイ情報あるんだけどサ」
両手を広げた忍者娘に愛車の進路を阻まれ、クラウドは どう?、と口端にイヤな吊り上げを見せるユフィをちらりと見遣ると
ふん、と鼻を鳴らしておもむろにエンジンを噴かした。
この小娘がこんな笑い方をするのは何かの悪巧みがその頭に氾濫している時だ。人生の大半をその笑顔で過ごしているようにも思える。
どうせロクでもない話だ。
「お、お前轢く気かっての!…ティファに言いつけてやる」
びく、と装着しようとしていたゴーグルを取り落としたクラウドをやや半目に見下したユフィは へへん、と歯を見せて続けた。
「効くねこの魔法ワード。いや、そんなことはどーでもいい。あのさ、あの辺てばアレがウヨウヨしてる界隈だろ」
…アレ?
目線を逸らして少し首を傾げるクラウドの前でユフィはその名を口にするのもおぞましいといった風情で顔を顰めると アレだよ!と
しゃがみ込んでその両足の間に手をついた。
「…ケロ助か」
いつの間にやらフェンリルの後ろに立っていたシドが短い煙草を燻らせながらやはり顰め面で呟く。
…タッチミー。
もれなくその整った流麗な眉を僅かに歪めたクラウドは以前の旅で遭遇したあの頓珍漢な魔物を思い起こした。
装備の整わない初期のエンカウントは、それはもう悲惨な事態に陥ったものである。
今でこそ瞬殺の自信はあるが不慮の際には気を置くに然るべく存在だ。
「それが何だ」
背後に立つシドに何やら忌々しげな舌打ちをするユフィはクラウドの問いかけに目線を戻す。打って変わって気味が悪いほどの微笑だ。
「この前ヴィンと話したんだけど、アイツら結構美味かったじゃん。また食べたいねって…」
「勝手に食え」
ゴーグルを着けたクラウドはシドに片手を上げるとフェンリルのスタンドを上げた。
「ちょ、待っ…ちゃんと聞けよ!ティファもさ、久しぶりにいいねって言ってたんだよ!」
ぴくりとその肩を揺らしたクラウドが両足を地に着ける。ゆっくりと振り返った。
「ティファが…?」
「そうさ、土産だよ喜ぶよきっとティファが!」
振り返ったがニヤリと口角を引き上げるユフィの顔は映さないゴーグル奥の蒼眼はどこぞの空を見据えたままだ。
「お、そういやぁ最近ヤツ等のなめし皮が高く売れるっつって…」
細い目を更に細めて無精ヒゲをさするシドは大きな目を三角に吊り上げるユフィの蹴り上げた小石が音速で眉間に直撃して
後ろに倒れこんだ。
撃沈した艇乗りを静かに見下ろしてから へへ、と曖昧な笑みを見せるユフィを寒波到来の如く冷ややかに見つめたクラウドは
小さく肩を竦めて吐き捨てた。
「興味ない」
エンジンを唸らせるクラウドにユフィは 待て待て、と目にも止まらぬ素早さで擦り寄る。
「こっからが本題だって。…あのカエルさ、どうやらすっぽんよりスゴイらしいんだ」
ぴきん、とゴーグルの中でクラウドの目が光った(ように見えた)
「ほら、あの時もさ、アレ喰った後…凄かったじゃんティファ」
「………」
華麗ですらあるドルフィンキックを見舞う彼女のいつにも増してキレの良い太腿もとい美脚を思い起こしたクラウドは
アクセルから手を離して忘我した。
彼女の凄さは常の事であったが今のクラウドにその判断力を問うてはいけない。欠乏症は6日目である。
「今はあの頃みたいな発散場所がないときたもんだ。…つーことは、だ。わかるよな、クラウドなら」
ごくり、と誤打のような擬音で素直に頷くクラウドを少し怖いと思いながらもユフィはその耳元に低くした声で畳み掛ける。
「新鮮さが第一だよ、絶対(皮に)傷つけたらダメだかんね。生け捕り。生き血が重要だよ」
急速冷凍、とユフィはぼんやりしているクラウドにそっと「れいき」のマテリアを差し出した。
立ち昇る砂煙にあっという間に見えなくなっていく黒い塊を、手の甲で鼻の下を擦りながら見つめていたユフィは ひひ、とその指で
空に算盤を弾いた。
「…んな話は聞いた事ねぇぞコラ」
これぞ皮算用に嬉々と浸っていたユフィは半身を起こして後ろ頭をさする艇乗りをじとりと見遣った。
「…っさいな。あたしゃまだまだ金が要るんだよっ。金は手に入る、あいつ等は面白い、良い事ばっかりじゃん」
鼻息も荒く胸を逸らす荒唐無稽な顔だけは無垢な少女をシドは あー、と溜め息混じりに零しながら見つめる。
「…でもよ、アイツ帰って来ねぇかもな」
指先に抓んだピンク色の細長いヒモをぷらりと細めた目の前に垂らした。
忘れモンだ、と呟く。
「げ、」
ユフィは丸く大きな瞳を更に見開いた。
状態異常を万能に防ぐ、それはリボンと呼ばれる必須アイテムである。
「折角オレ様が持ってきてやったのにおめぇがよぅ」
言いながら眉間に手を遣ったシドはそこから迸る流血にうぉ、と呻いた。
「い、いや!アイツはやるよ!素手だろうがカエルパンチだろうが…絶、対…」
既に爆音は掻き消え鳥のさえずりが平穏に響く朝の清々しい空を見上げてユフィは
成仏しろよと心の中で呟いた。
まあ、いいか。(え、ダメ?)