<SS Breathe>





ここから はじまる。




Breathe



「わ…」

一陣の風が広げる途中のシーツをふわりと舞い上げた。

竿から浮き上がりそうになる布の端を慌てて掴んだティファは素早くピンチをとめて ほ、と息を吐く。

「…やっぱりまだ風は冷たいな」

子供たちの布団を干し終えたクラウドが青く澄んだ高い空を見上げながら呟いた。

「日差しは暖かいのにね。…ありがとう、クラウド。助かっちゃった」

広げた洗濯物の合間から手すりの側で日毎その存在の主張を強める日差しに瞳を細めるクラウドへ声をかけると

ゆっくりと振り向いた彼が照れくさそうに微笑む。

「いや…まだ時間あるから」

つられて微笑んだティファはいっときその蒼い眼差しに晒されて少し焦った。

風に揺れるシーツの所為にしてその陰にそっと身を潜める。


別に、目が合ったからといって何が悪いわけではない。

ただ単に、恥ずかしいだけだ。

今更とも思うが、不思議な輝きを放つ綺麗なあの瞳に見つめられると体温は了承も得ずに上がる。

数時間前これ以上ないほど間近にあった妖艶なそれを思い出してしまったティファは火照り始める頬を冷えた指先で冷ますと

目の前のシーツをぱん、と伸ばした。


あの蒼瞳に、自分はどんな風に映っているのだろう

ふとそんな事を考えてから何となく風に遊ぶ長い髪を手櫛で整えてみるティファである。


「…手伝おうか」

不意に近くで声がした。

「え…?」

いつの間にかクラウドの気配がすぐ側にある。

何やらぼうっとしていたティファは停滞気味だった手を急くように動かした。

「もう終わるから大丈夫。寒いから中に戻ってていいよ?」

「これは?」

乾いた風に弄ばれるシーツの端を整えながら流した視線の先に、足元の洗濯籠の横に置いた小さな洗い桶へと

腕を伸ばすクラウドを捉えて大いに慌てた。

「ま、待ってクラウド。それは…その、手洗いした分で…えと、」

自分で干すから、と呟くと屈み込んでいた彼にきょとんと見上げられて目を逸らす。

俯けた朱に染まる頬に気付いたクラウドは伸ばした手先にある桶の中の物体を見つめると一瞬で体勢を戻した。

「そ、うか」

ごめん、と頭を掻きながらぎこちない足取りで元居た手摺りの方へ向かう。


彼の靴音が離れていくのを確認したティファは急いでその下着云々に取り掛かかりながらいつの間にか、

手すりに両肘をついて身を乗り出し外を眺めるクラウドの後ろ姿を見つめていることに気付く。


確認しているのだ。

彼が、居る事を。


クラウドが帰って来てからもう幾日も経つというのに。

ティファは喉の奥で留まっていた呼吸を小さく、細く吐き出した。


彼を見つめる時、ティファはいっとき息を止めている事を自覚している。

ちょっとした癖だ。

気付かれないように、という思惑か…いや違うとティファは少し乱れた呼吸を整えた。

淡い日の光に溶けるようなクラウドの金色の髪が風に揺れるだけで、胸の奥がざわりと波打つ。


消えてしまうかもしれない


以前、何度となく見た悪夢を思い起こしたティファは冷えた指先を胸の前できゅっと握り締め、

自分の足元を見つめていた。

気がつくと俯いてしまっている自分を情けないと思う。


すぐ側にクラウドの気配を感じ

何気ないその仕草を見つめ

言葉を交わし

触れ合う


そんな当たり前のような日常を未だに夢ではないかと思うことがある。

まるで夢見心地の現状。

不安定な足元は何度確かめても落ち着かない。


そう。

予防線を張っているのだ。

振り返り、微笑んでいたはずのクラウドが吹き抜ける風のように掻き消えてしまった時

夢だったのだと思い知る時

その痛みに耐えるために 息を、止めて。


こんな私を知ったら、彼はどう思うだろうか。

情けない私に呆れる?

信用ない、と怒るかもしれない。


しかし、目覚めて彼の居ない現実に打ちひしがれた喪失の痛みはまだその胸に深く残る。

夢の中のクラウドが優しければ優しいほどその後に襲い来る苦痛は耐え難いものだったから。



強い風が真っ白なシーツを舞い上げ、その頬をぴしゃりと打つ。

意識を浮上させたティファは 弱いな、と己を嘲り顔を上げた。


「…っ」


どくん、と心臓に痛みが奔る。

洗濯物が風に高くあおられ、一瞬見通しの良くなった視界の先に


クラウドの姿が見つけられなかった


吸い込もうとした息がどこかに詰まって喉の奥で小さな擦過音を立てた。

耳の奥で早鐘を打つ鼓動が煩い。

ぎゅっと冷たい拳を握り締め、はためく布の先に「その背中」を探す。


「クラウド…?」


何とか絞り出したその名前は詰まった喉の所為で掠れて頼り無い音となり容赦ない風が攫った。

まるで最初からそんなものは無かったのだと嘲るように。


眩暈が、した


夢、だったのだ

夢だったのだ

たった今、目を覚ましたのだ

彼の居ない 現実に。


世界がぐにゃりと歪む


―息が、出来ない




「ティファ」

突然背後から回される二の腕に両肩を抱きしめられ、無意識に一歩踏み出した足が止まる。

温かくなる背中。


「…クラウ、ド」


思い出したかのように吸い込んだ空気は何故か懐かしく感じる、彼のにおい。

もっと欲しくて、もっと感じたくて夢中で吐き出した。

背後の安堵により取り戻した 呼吸。


こんな自分を彼はどう思うだろう―


じわりと目の前が滲んでどうにもならなかったが、幸いにもクラウドが背後に居る事でティファは

声だけを取り繕うだけで良かった。

「どう…したの?」

「…ごめん」

ぼそりと呟いた彼の腕に ぎゅ、と力が篭もる。

「クラウ…」


「ティファが…消えてしまったかと、思っ…」

 
耳元の呻くようなその声に頭の芯が じん、と痺れた。


クラウドも、同じ――。


そう思ってもいい、と微かに打ち震えるその腕が確かに伝えていた。

背なに伝わる早い鼓動

解かれることのない腕

力強く抱きしめられた肩先に伝わる痛みは彼の ――不安。


馬鹿ね、と口にした言葉が情けないほど震えたが、言わずにはいられなかった。

願うように 祈るように 


「…そんなこと…あるわけない、じゃない」





強くありたいと願ってきた

己の弱い心を情けないと叱咤してきた


零れる涙を止める術を

この不安を掻き消す方法を

無理にでも自分だけで探そうとしていた

それが無意味な事だとは思わない


だけど、強がりを取り払ったありのままの心を曝け出すのも、時には良いのかもしれない。

そう思えるのは、今感じた彼の「不安」が自分のそれと同様の色を以って溶け込み、混和したから。

まるで、吸い込んだまま留めている自分を促してくれているように思えたから。


息を継ぐ、そんな簡単なことを思い出した。




私も、見せていい? クラウド


必要とするからこその、不安。


あなたには、私のそれが一体どう映るだろう。



胸元に交差する腕に身を預け、肩口に伏したままの彼のこめかみにこつんと凭れかかるとティファは

滲んでぼやけた世界を瞼でそっと遮ぎってから、ゆっくり息を吸い込んで 止めた。


留めるためではなく 吐き出すために。



近く、互いの怯える瞳を交し合うまでの


ほんの僅かの 間。








FIN

光があれば陰があるように、「幸せ」に寄り添う「不安」。
一度手離した記憶の残る彼らにはより一層の「痛み」を伴なう事でしょう。
信じてないと言われたらそれでお終いですが、人のココロとはそう単純でもないやっかいな代物。
それだけ想っているということですよね。
なにも、消そうとしなくていいと思う。
それがあって当たり前の事だから。
辛いならそれを凌駕するほど抱きしめ合えばいい。

お互いがいないと呼吸すら出来ない関係を盛大に推奨。


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